ミナミも、ええよ その63(2013年11月22日配信)

以前から気になっていて、一段落したらぜひこの場でご紹介しようと思っていた話題があります。この出来事をどう考えるべきなのか、自分のなかではまだしばらく答えが出ませんが、ニュースサイトやTV報道で得た情報に基づいて、事の次第をご紹介したいと思います。

「人生の幕引き」

アルバート・ヘリンガ、71歳。彼はちょうど今からひと月前、オランダ中部アーネム市の裁判所に被告として出廷した。判決を受けるためである。罪状は、実母の自殺幇助。検察側の求刑は執行猶予付き3ヶ月の禁錮刑だった。

当時99歳だったアルバートの母は、加齢による様々な症状を抱えてはいたものの、命に関わる疾患もなく「健康体」だった。でも、生きる意欲はとうに失っていた。「自分の人生はもう終わった。100歳にはなりたくない」

オランダでは安楽死が合法化されているが、希望すれば誰にでも適用されるわけではもちろんない。大前提として、絶望的かつ耐えがたい(身体的)苦痛に苛まれていることを医師が認定しなくてはいけないのだ。実際のところ、この法律が適用されるのは主に末期癌の患者さんで、アルバートの母のように、老人病が積み重なった状況(視力ほぼ喪失、心不全、骨粗鬆症、腎臓病)では基準を満たすことができない。

現に、問い合わせた医師からは良い返事を得ることができず、家族は途方にくれる。だが母の気持ちは変わらない。母はその間も、誰に相談するでもなく、医師から処方されていた錠剤を飲まずに貯め続けていた。いずれ、まとめて飲んで自殺するつもりだったのだ。

ところがある日、アルバートは、引き出しに貯め込まれた大量の錠剤を見つけてしまう。彼が母の切実な思いを知り、自殺幇助を決心したのも、このときだった。そして家族の誰にも知らせず、自分一人で母を「助ける」ことにした。

2008年6月7日。どうするかはすべて母が決め、彼は母の求めに応じて手伝った。このとき、母の服用した錠剤は合計で161錠を数えたが、そのうちの125錠は、すりつぶしたものをヨーグルトに混ぜて食べた。膨大な数の錠剤だが、日頃からたくさんの薬を服用していた母には、それほど苦でもなかったという。そして7日から8日にかけての夜、母は本懐を遂げた。

医師には自然死と診断され、家族も事の真相を知らぬまま葬儀が行われた。すべてが明るみに出たのは2年後の2010年である。アルバートの撮影した映像を含むドキュメンタリーとして、老婆の尊厳死がTVで放映されたのである。母と同じく、辞世を望みながら安楽死の対象にならない多くの老人がいる現実を何とかしたいと思い、彼が自らメディアに連絡を取ったのがきっかけだった。(その頃には、もちろん家族も真実を聞かされていたが、さすがに仰天し、事実を受け止めるのに相応の時間を要したという。しかし番組を見る限り、気持ちの収めどころを見つけて、彼の決断に理解を示しているようだった)

安楽死実施の是非をめぐっては、医師の自由裁量に任されている部分が大きい。基準を満たしている場合ですら、自殺幇助を敬遠する医師が「他の医師なら手を貸してくれるかもしれませんよ」と逃げてしまったりする。オランダでは、安楽死に関する法規制の緩和を求める動きもあり、その筋の専門家も、自殺幇助を支援する団体も、今回のアルバートの行為には全面的な理解を示している。

オランダでは、友人や身内による自殺幇助は容認されており、起訴されることは稀である。今回、検察が2012年末になってようやく起訴を決定したのも、アルバートが処罰されるべきだと判断したからではなく、慎重な判断を要する複雑な問題だけに、彼が罰せられるべきかという問いを司法の場で提起するためだった。自殺幇助で有罪判決が下ると3年以下の禁錮刑が課せられるが、冒頭で紹介したように、彼に対する求刑が軽かった理由もそこにあると思われる。

被告人となったアルバートは、自らを無罪と信じて疑わない。そもそも事の真相を公にしたのも彼自身であり、安楽死制度について政治の場で話し合われることを望んでいるため、こうして裁判で取り上げられたことも歓迎している。

裁判は今年の9月24日に始まったが、その日の朝、自殺幇助支援団体のメンバーが裁判所前に大勢集まり、アルバートを温かい拍手で出迎えた。彼らは自殺幇助の合法化を目指しており、この裁判の動向には非常に注目している。団体はこの日集まった支援者たちに、裁判所横広場に設営したテントで簡単な朝食をふるまったが、和気藹々と歓談する支援者たちは圧倒的に老人が多く、夫婦で参加している人たちの姿も目立った。

マイクを向けられた支援者の一人は「良い判決が出て、政府が対応せざるを得なくなるといいですね。私たちが最も重視しているのは、自らの人生について、医師でも他の誰でもなく、自分が決定権を持つことなんです」と語った。

10年来安楽死の申請を審査してきた医療倫理の専門家も、自殺幇助は常に医師が行わなくてはいけない行為だと述べている。素人が実行して失敗した場合に、手助けをした本人たちにも大きなトラウマが残るからである。しかし「法にふれることを恐れて家族の望みを叶えなければ、家族を見捨てたという罪の意識に一生苛まれることになる」側面も指摘している。

 

一ヶ月後、裁判所の判決が下った。

「被告の行為は、母親に対する愛情と、母親を助けたいという思いから考えついた事であるため、被告は処罰されないものとする」。アルバートは禁錮刑を免れた。

しかし裁判官は、彼が意図的に法を無視したことを非難する。「被告は代替策が上手くいく可能性を十分に模索していない。特に、被告の家庭医は明確に『できない』と回答したわけではなかった。もしそうであったとしても、被告は他の医師に相談できたはずである」。そして読み上げられた判決文の中で、今回の事件は処罰されるべき事実であり、被告は処罰されるべき者である、と検察の見解を肯定した。

これが重要な争点であったため、検察は判決に一定の満足を示したが、量刑を巡っては異なる判断になったため、追って検討した上で控訴の是非を判断したいとしている。

一方、アルバートは判決動機に落胆した。裁判官は、安楽死法の提供する選択肢を利用するべきだったと言うが、彼曰く、2008年の時点で「生きる意欲を失った老人」について議論の余地はなかったのだ。彼も弁護人も、本件を原則の問題と捉えており、医師以外の者による自殺幇助が合法となるよう、議会による法律の修正を望んでいる。

おそらくアルバートは、判決を不服として控訴することになるだろう。

71歳の戦いはまだ終わらない。

あめでお